司法試験に向けて受験勉強しています
田舎で一人で受験勉強をしている状況ですが、一緒に勉強していた仲間はみんな不合格でした。
彼らは『1回目だからまあこんなものだろう』という風に全く落ち込んでおらず、私は彼らの反応を見て、今後は距離を置くことに決めました。
なぜなら、私以外の学生たちは、家が裕福だったり、既に他の法律資格を持って仕事をしていたりするので、試験に合格しなかったとしても生活に困ることはなかったからです。
私からすれば、彼らはあまり意識が高くないように感じられ、一緒に勉強するのが嫌になったのです。
それに、大学に通う時間があるのであれば家で一人で勉強する方がお金も節約できると思い、とりあえず引っ越しを決めました。
家電製品のテレビや洗濯機などは全て売りましたし、料理に使う時間ももったいないので台所用品も不要です。洋服も数着あれば十分です。
東京の便利な駅周辺に住んでいたのですが、埼玉の田舎の物件を選び、家賃は半分になりました。
1年間、机と参考書だけが置かれた部屋で、一人で朝から晩まで勉強を続けました。
誰とも話さずに過ごす日も多くありました。
食べることが唯一の楽しみとなり、運動もしないので、着ていた洋服は全て入らなくなってしまいました。
美容院にも行かず、化粧もしません。ほとんどパジャマで過ごし、買い物にもジャージを着て出かけるようになり、その習慣が徐々に定着していきました。
実家の家族には、合格するまで帰省しない旨を伝えましたが──。
迎えた2回目の試験で、またもや不合格となりました。
私は絶望のどん底に突き落とされた気持ちでした。家族に結果を伝えるのがなかなかできずにいると、母から電話がかかってきました。
私の声で、母は私が不合格だと感じたようでした。「試験は難しいから、無理せずにね。真理ちゃん、お見合いの話もあるんだけど、どう?」やはり母は私の状況を予測していたようです。
私は母としては、最終的には経済的に裕福な男性と結婚することで満足するのだろうが、私は専業主婦になるという選択を避けたかった。
その理由は、自分の母の生き方が嫌だったからだと思う。
経済的に夫に依存する生き方だけはしたくないと、いつも心のどこかで感じながら生きてきた。「他に余計なことはしないで!」と言って電話を切った。受験の制限まであと1回の機会があるが、生活費はもうすぐ底をつくだろう……。
公園の近くで、「炊き出し」というホームレスの人々を対象にした食事が行われている列が目に入った。
若いカップルも列に並んでいたので、私も思わず並び、おかずとスープをいただき、おにぎりももらった。
これで1日の食費を節約することができた。
主催者の方が、毎週の開催時間を教えてくれたので、それ以降はその時間に列に並ぶようになった。将来の生活費をどうしようか……来月には貯金が底をついてしまう。
それでも実家に戻りたくなかった。
ある時、「弁護士の○○先生、生活保護を受けたこともあるんだって……」という法律関係の人の噂を聞いたことがある。
一瞬、「生活保護」という手段が頭を過った。
もし受けることができるのなら、躊躇わずに受けるつもりだったが、問題は家族の扶養照会だった。家族に生活保護の申請を知られるわけにはいかなかった。
途方に暮れている時、珍しく父親から電話がかかってきた。
「元気か?ごめんなさい。母さんがまた余計なことを言ったみたいで」と言った。優しい父は、昔から母の極端な行動をフォローしてくれる存在だった。
「まあ、いつものことだからね」
「母さんは見栄っ張りだから、昔から真理に迷惑をかけてきたよな」
「何を言ってるの?今更それを言ったって」
父は忙しい仕事をしているため、ふたりで話すようなことは今までなかったかもしれない。
「お父さんにできることはないけど、少しでもお金を援助しようと思って振り込んでおいたから、使ってほしいよ」
どんな結果であろうとも、絶対に諦めないことが大切だ。
その思いやりに胸が熱くなりました。翌日、口座を確認したら、父親から100万円振り込まれていました。私はこのお金で、最後のチャンスに挑むことにしました。
その1年間、話した相手は炊き出しの主催者やホームレス、さらには新興宗教の勧誘の人だけでした。
体重はますます増え、髪は白髪だらけで臨んだ試験。
結果は合格しなかった──。
再び、「司法試験」の難しさを心底感じました。これまでの試験とは比べものにならないレベルでした。でも、あきらめませんでした。当時は3回しか受けられない受験資格が残っていたため、予備試験で受かって受験資格を得る方法を選びました。
ここまで来たら、どんなにつらくても、どんなに苦しくても、何があっても受けなければならないと思いました。
だから、生活自体を見直す必要性を感じ始めました。こんなに長い受験生活になるとは思っていなかったので、不健康な生活もやむを得ないと思っていましたが、体調不良が増え、集中力も落ちました。
また、生活費もこれ以上、家族に頼るわけにはいかないため、働かなければならないと感じました。
私は就職活動を開始しました。
前の仕事の経験を活かして、子供向け英会話教室なら時給も良くて比較的簡単だろうと考えました。
最初に筆記試験がありましたが、それは完璧でした。しかし、2次面接の際にネイティブスピーカーとの面談があり、単語がスムーズに思い出せませんでした。
実に5年以上、生の英語に触れていなかったのです。
もっと準備をしておくべきだったと後悔しましたが、案の定、不採用となりました。
次の面接は有名ホテルの従業員採用でした。
面接官の女性はCA出身で、それを聞いて嬉しくなりました。
面接が終わり外に出ると、フロントには著名人がいました。
高級ホテルで働けるなら、ここで働くのもいいかなと考えながら歩き始めた時に、元CAの面接官に呼び止められました。
「すみませんが、お話しよろしいですか?」彼女は私をホテル内の大きな鏡の前に誘いました。
「あなたが私に率直な意見を伝えてほしいと思ったからです」面接の時とは対照的に厳しい表情でした。「私には採用の可否を決める権限はありません。
ですが、あなたが採用される可能性は低いと思います」
「え?」
「あなた、鏡を見ましたか?」
女性は私に鏡を見るよう促しました。
「今は気にしていられないかもしれませんが、10年前、その姿で飛行機に乗れただろうか?私は驚きました。「あなたは全くもって30代には見えません。ブラウスのボタンも外れていますし、スーツのボタンも外れています。ストッキングは伝線していますし、そのような姿で面接に来た女性はいません。接客業においては考えられません。よく鏡を見て、どんな仕事に向いているか、もう一度よく考えてみるべきです」
そう言って女性が去って行った後、私は全身が映る大きな鏡の前でしばらく呆然としていました。
どうしても仕事をしなければならないと思い、体を無理やり細身のスーツに詰め込んだ結果、ボタンが飛び、ストッキングも破れ、美容院に行かなくなってから2年以上経った髪は白髪だらけになっていました。私ははっきりと場違いな場所にいることに気付きました。
もし第三者が見たら、私が料理の列に並ぶ姿が私に合っているとわかるでしょう。ついに現実に目が覚めました。
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