入社してから30代前半まで「仕事の出会い」と「人との出会い」という二つの出会いを重視していただきたいのです。
仕事を通じて、人はさまざまなことを学び、成長するのです。
また、この時期には必ず、職業生活に大きな影響を与える上司や仲間と出会うのです。
生涯の伴侶との出会いもあるかもしれません。
このような中で、自分にはどのような能力があり、何が得意であり、何に価値を感じるのか、さまざまなことが自覚されるのです。
さらに、この時期は、仕事の基盤を築くために欠かせない基礎力を養う重要な時期でもあるのです。
これらの力は、仕事を始めてから一から身につけるものではなく、幼少期からの積み重ねによって培われるものです。
特に重要なのは、最初の三つの力です。
「人間関係能力」とは、他の人との関わり方の能力とも言い表されます。どのような職種に従事しても、必ず必要となる力です。
その中でも、最も基礎的なものは、他の人と親しくなる能力です。
協働力や、他の人をリードしていく力も重要な要素となります。
このリード力というのは、小さなお子様でも備わっているものです。
例えば、お子様が自ら生徒会長に立候補するような力です。
次に「自己管理能力」は、自分自身を管理する能力を指し示します。
これは比較的新しい概念でございまして、ここ最近、特に注目が集まっています。
具体的には、日々の仕事で発生する葛藤やストレスに上手に対処し、情緒や感情を安定させ、仕事を遂行する力です。
また、自己効力感という概念もございますが、自分自身が有能であると感じ、前向きな気持ちを持ち続ける力です。過小評価されがちですが、毎日規則正しい生活を送ることも、立派な自己管理能力の表れとなります。
起床時間や就寝時間が安定せず、昼夜逆転の生活をしている人は、他の人に迷惑をかけるだけでなく、仕事の能力も低下し、ストレスが増え、精神的にも問題が起きやすくなります。
言わば、社会的に適格でない状態です。
今、とりわけ「対課題能力」という能力が急速に重視されています。
これは、課題を見つけ、必要な情報を分析し、解決策を考えて実行する能力のことです。
この能力は、社会に出てから磨かれることが多いです。
なぜなら、多くの企業が30代前半に次世代リーダーを選定しており、これらの基礎的な能力をどの程度持っているかが、評価の重要な要素となっているからです。
最近は人手不足のため、この年代での転職者が急速に増えているようですが、自身のキャリア形成に繋がるかどうかをじっくり考えた上で、給与だけに目が眩まされることなく転職を検討してほしいです。
仕事において身につけておくべきマナーもあります。
それが上司への「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」です。
このスキルが乏しい人は、上司との円満な関係を築くことができません。
その結果、適切に評価されることもありません。
ポイントは、事前に「相談」を怠らず、途中経過をこまめに「連絡」し、最終的な結果をしっかりと「報告」することです。これらのステップを踏むことで、上司が安心して仕事を任せてくれるようになり、強い信頼関係を築くことができるのです。
以上のことを30代前半までにしっかりと養っておくとあとの転職がすごく楽であり、また可能性も大きく広がります。
誰も聞きたくないと思いますがある女性の転職のお話
私、(33歳)は、広告代理店で働いていますが、転職の際、100社以上に資料請求の葉書を送りました。就職市場が非常に厳しい時期で、私は当時ライターのアルバイトをしていたため、出版社への就職を希望していました。しかし、内定が出たのは地元の東海某県の新聞社でした。「地元に戻ることは望んでいませんでした。完全に都落ちした気分でした」。
しかしながら、記者は出版社への近道になるかもしれないと考え、帰郷する覚悟を持って退職しました。
新人研修では、「販売員の気持ちを理解するため」という理由で新聞の勧誘を行ったり、ホスピスや老人ホームに通い、それらの経験をレポートにまとめました。
最初から1人で現場を巡回し、人脈を築きました。
また、警察の回りも担当しました。
入社3年目には、大学時代の友人から勤め先のメーカーのマーケティング部門で人材募集が行われることを聞きました。
「当時は常に24時間拘束されていたため、転職活動は困難でした。焦りもありましたが、マーケティングに興味がなかったわけではなかったので、まず東京に出て、ここでの経験をステップにして出版社に行こうと考えました。
しかし、このような理由では面接では言えないため、上司には「特ダネの記事を一本書いた後に転職しなさい」と引き止められましたが、合格し東京へと出て行くことにしました。
第二新卒として、新人研修に参加した後、マーケティングの仕事に就きました。「他の人がすぐにできることができず、理論は一から学びました。
最初はなじめない雰囲気でしたが、この分野は机上論が多くなりがちですので、現場を見たり人々の話を聞くことで、前職の経験を生かせていると感じました。
しかし、1年、2年と経つうち、私は仕事に行き詰まりを感じるようになりました。
新聞社では1年目で既に仕事をこなすことができ、書いた記事はそのまま掲載されました。
しかし、ここでは仕事はチーム単位で行われます。
企画書の一部を担当し、それが却下されると外されてしまいます。
「私はあの先輩たちの水準に達することができるのでしょうか」、と途方に暮れることもありました。
データを整理した後にアイデアを一気に出すという世界であるため、私が周囲から「常識人」と称されたことは、ある意味で致命傷でした。
新聞社で培った「現場主義」が、思わぬ形でバックボーンとなっていました。
「一社にずっと勤め続けると、動き出すきっかけがつかめなくなってしまうのではないか」という思いから、切羽詰まっていました。そして、彼女の脳裏に浮かんだのは、入社直後に出張した中国の上海でした。「『明日は今日より絶対に良くなる』という考えが浸透している上海はとても新鮮でした」
この場所に住むことを思い描き、何度も異動の希望を提出しました。3年目の時、30歳で1年間の休職を申し出て、上海の大学で留学することにしました。もし受け入れてもらえなければ、退職も覚悟しました。私の上海行きは、会社にどのようなメリットをもたらすのかを詳しく説明し、提出した結果、認められました。
『現地での些細な調査やインタビューだけでは、実態を把握することはできませんし、顧客に自信を持って説明できません。例えば、一つの菓子を価格設定する上での『150円』がどれほど高額かは、実際に生活した人でなければ実感できません』と述べました。
留学は本当に楽しいものでした。最初は筆談と英語に頼っていましたが、日常会話レベルまで中国語を上達させました。出版への未練も消えました。
復職に備えるため、上海支社でマーケティングのアルバイトを続けました。
帰国後、上司に向かって『経験に意味があるので、中国の仕事を担当させてください』という恐喝めいた発言をしました。
『中国のマーケティングを担当できる人は少ないのです。最近1年ほど自信がつきました』と述べました。
今は月に1度、北京か上海に出張する日々を送っています。もし上海に行っていなかったら、今頃まだ転職活動をしていたかもしれません……
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